最果タヒの展示に行った話

2019年3月21日 最果タヒの展示会に行った。

その日の感想が出てきたので、ここに記したいと思う。

 

 

あとがきに書いてあった「読書は、受動的ではなくて能動的」という言葉が、とても素敵で胸に刺さった。

そうだよ。私たちは文章を読んでいるんじゃない。その文章から、言葉から広がる世界を、頭の中、心の中で描いているんだよ。それって、世界を作るってこと。ちぐはぐだったピースを、過去の記憶を、見たことのない景色を構築して、イメージして、世界を作り上げるということ。神様と同じことを、私たちは”本を読む”という行為の中で再現できる。それって、とてつもなく高貴な遊びじゃない?

 

この空間に浮かんでいたのは、ただの言葉たち。この世界に散らばっていて、浮かんでいて、捨てられていて、誰かに愛されていて、誰かを傷つけた言葉たち。

正直、どの言葉も使い古された、陳腐な言葉だと思ったんだ。きっと誰でも思いついたことのある言葉たちなんだと思う。

でも、その言葉たちを、目に入った純に紡いでいくことで、誰のものでもない私だけの「詩」として存在価値が生まれる。

 

価値を作り出す詩。

 

読み手に、言葉の価値を自分自身で付けさせるという、詩という、ハイカルチャーなもので行わせるという、この最果タヒの高度な遊び、高次元の実験。面白くってワクワクする。

 

道端に落ちている、雑踏の中に浮かんでいる、心の墓に捨てられている言葉たちを、蘇らせて、意味を、価値をつけさせる。

私たちはこの空間で、言葉を蘇らせる行為を行ったんだな。自分の心の中で死んでいた言葉たちを、もう一度生き返らせる行為を。

 

私はこれから、どれだけ言葉を生き返らせることができるんだろう。

どれだけ自分の感情を、沈黙という名の刃に殺されずに、生かしていくことができるんだろう。

 

 

「生きています、

 ぼくは、生きています、

 と、

 3秒後、鼓膜が破裂して、

 朝は、光の匂いがする。」

  

 

 

いまのわたしは、感情を沈黙という名の刃に殺されずに生きれているんだろうか。

一年前の私が、困ったように笑った。